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ザ・ゲームミュージック・コンポーザー〜古代祐三インタビュー〜

Article written by 高部 大幹




その1:ゲーム好きが高じて、ゲームミュージック・コンポーザーへ


─レトロゲームの熱さ溢れる「MAGFest」

斉藤 古代さんは2013年1月に、アメリカのゲームイベント
「MAGFest(マグフェス)」にゲストとして参加されました。出演のきっかけは?

古代 オードゥンさんという方からいきなり「MAGFestに来てほしい」とメールが来て、
それで面白そうだなと思って。アメリカのイベントは出るのが初めてでした。
ヨーロッパのほうが多かったんです。それで楽しみでした。

要するに、ゲーム版コミケと音楽ライブが合体した感じです。
会場はめちゃくちゃ広く、幕張のホールくらい?
それでもアメリカではそんなに大きなイベントじゃないと聞いて、びっくりしましたね。
コスプレイヤーさんもいっぱいいて、レトロゲームの筐体が並んでいる。
私もレトロゲームが大好きだから、むしろ日本でやってほしいなと思いましたね。
とにかく熱気が凄かったです。

斉藤 ご自身が担当されたゲームのコスプレをした人はいましたか?

古代 来てましたよ、「ベアナックル」の格好した人が(笑)

(一同笑)

古代 武器の鉄パイプを持ってきていました(笑)
外人だから凄く似合うんですよ、Tシャツとジーンズに金髪で。
ゲーム中と全く同じ格好じゃん、って(笑)

レトロゲームのイベントということで、日本のゲームが強かった時代なので、
会場は日本のゲームがほとんど、もしくは日本でも人気のあった海外製のゲーム。
だからほとんど知ってるゲームばかりでしたね。
30〜40代の人が行けば超懐かしいものがいっぱい並んでいました。
最近の日本のゲーセンのほうがむしろ冷めちゃってる感じですが、
「MAGFest」には日本の80年代の熱さがそのまま残ってる感じでした。

写真


─「音楽よりもむしろゲームを作りたかった」

斉藤 当時、古代さんもゲーセンにいらしていたんですか?

古代 ずっと行っていました(笑)
90年代なんか酷いもんで、ゲーセン行ってるかクラブ行ってるか。
「ストII」で対戦の野良試合を繰り返していました。

斉藤 (笑) どのキャラを使うんですか?

古代 全キャラ使います(笑)
私、「III 3rd strike」以外の基盤を全部持っているんです。
1枚20万くらいしますが、十分もとは取れました(笑)
対戦筐体を会社に置いて、毎晩やっていました。
ゲームの作曲をやっていても、
私くらいゲームをやってる人はあまりいないと思うんですよね。
少なくとも「ストII」の基盤をほとんど持ってる人はなかなかいないと思います。

(一同笑)

古代 なぜ「3rd strike」を買わなかったかというと、
そこで自分のブームが変わったんですよ。
「Half-Life」(PC用FPS)っていうゲームを始めて。
でも今はゲームをやる時間がなくて、全然やっていないですね。
ゲームは寝るのも食べるのも惜しんでやっちゃうんですよ、私。
当時は若かったけど、今はもう無理(笑)

斉藤 子供の頃からゲームを好きで、作曲家になったのもそれが高じて?

古代 そうですね。音楽よりもむしろゲームを作りたかったんですけどね。

斉藤 もし絵をやっていたら、グラフィックの仕事をやってたかも知れないですか?

古代 そうかもしれません。
高校卒業後に、オニオンソフトというパソコン・サークルにコミケで出会って、
そこに誘っていただいて音楽を担当しました。
また同時期ですが、高校卒業前に『ベーマガ』(電波新聞社刊『マイコン ベーシックマガジン』)のサウンドコンテストに応募して、雑誌に掲載されることになった。
それが、後の日本ファルコム入社に繋がるんですが、
当時は音楽の仕事に就くとは思ってもいませんでした。
小さい頃からピアノやバイオリンをやらされてろくに遊べなかったから、反動がきて、中学では卓球、高校ではフェンシングと、部活も音楽と全く関係ないことをやっていたんです。高校生の間は楽器には全く触れていなかったですね。

斉藤 『ベーマガ』に送ろうと思ったきっかけは?

古代 「ドルアーガの塔」などのゲーム音楽が凄く良くて、同じサウンドをパソコンで再現したいと思ったのが最初だったんです。
でもその時、無印の「88」(NECのパソコン「PC-8801」)しか持っていなくて、「SR」(同社のFM音源搭載パソコン「PC-8801mkII SR」)を買った友達のうちに行って、曲を録音したテープを持って、耳コピしながら打ち込みました。
当然、1日ではできないので、何回も通って。

斉藤 凄いですね(笑)
もともと音楽をやられていましたけど、作曲自体は独学ですか?

古代 作曲はほぼ独学に近いです。
もちろんきっかけは久石譲先生ですが、先生のところでやってたのは、曲の理論的なことよりも、とにかくインプロヴィゼーションで作りなさいというものでした。

私が今、誰かに作曲を教えるとしたら、
例えば1451(コード進行パターンのひとつ)などを教えると思うんですよね。
ところが久石先生は何も教えずに、
「先生が頭4小節弾くから、すぐ続きを弾きなさい」って(笑)
今考えると凄いことですが、それができると判断されたからなんでしょう。
小さい頃からアニメの主題歌などを耳コピしていたので、音は採れていたんです。

高部 音楽から反動で離れたにも関わらず、
ゲームのサウンドは打ち込んでみたいと思ったのはなぜでしょう?

古代 まずパソコンが好きだったんですね。
何でもできる箱みたいな感じで、もの凄く惹かれたんです。
初めて触れたのが中学3年の時。『I/O』という雑誌を買ってきて、八王子のパソコンスクールに行ってダンプリストを打ち込んで、テープに保存して持って帰り、続きをまた向こうで。そんなことをやってました。
パソコンを買ってもらったのが高校1年の時で、無印の「88」。
ようやくファミコンが出た年で、当時は家でゲームができるというのは自分にとってこの上ない天国みたいな話でした(笑)

むちゃくちゃ楽しかったなぁ。
最近しみじみ思うんですけど、あの頃の次から次へと出てくる新しいものの驚きとか興奮とか、今どれくらいあるのかなと、自分の子供を見ていても思いますね。今は何でも揃っている。

高部 エインシャント(古代氏が代表を務めるソフト制作等の会社)でも
「まもって騎士」というレトロテイストなゲームを出されていますね。

古代 「Xbox 360インディーズゲーム」で発売していますが、当時は日本人の参加が少なかったので、ああいうのを作ったら面白そうだなと思って。

高部 古代さんがファミコン音源的な音楽を担当されていますね。

古代 ファミコンの音が出るVST(Virtual Stuido Technology)を使って。
楽しかったですが、できれば本物を使いたかったです。
本物をエミュレータで動かしてやれば一番いい音が取れるので、
次回があればそういうこともやりたいですね。

高部 昔のFM音源と今の生演奏を使うような音源とで、作曲の感覚は違いますか?

古代 違うでしょうね。
生楽器を使った曲は、作曲をしている間は神経使わなくてむしろ楽ですが、
ディレクション面の苦労や、録音する時のピリピリ感があります。

FM音源はチップチューンですから、まず音楽的なことよりも、
「チップにどれだけ精通しているか」のほうが重要です。
逆に精通していないと、まともな音が出ない。
だから、初期ではミュージシャンがゲーム音楽に参加しても、
なかなかいい音が出なかったという話をよく聞きました。

当時はFM音源でどうやったらいい音が出るかというノウハウが蓄積してなかった。
そこをかなりいじらないといい音楽ができないという点で、
やはり普通の音楽の作り方とは全然違いますね。
単にベタでスコアをポンと置けば、一応音楽にはなるんですけど、それだと良さは出てこないので、パズルみたいなことを考えながら、いろいろ工夫をしないといけない。

斉藤 パズル的に工夫するという点は、
オーケストラで楽器の組み合わせを考えることにも通じる気もします。

古代 オーケストラだとそうですね。
ただし、FM音源はアーティキュレーション(音の区切り方やつなぎ方)を自分でコントロールできますが、オーケストラはそうはいかないので(笑)
そこはまとめる人の力にかかると思います。


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