ビデオゲームの進歩とともにその重要性を増し,現在では一つのカルチャーと言ってもいい存在となった“ゲーム音楽”。その功績を語る上で欠かせないのが,数々の名曲を生み出し,演奏してきたゲーム音楽家達の存在だ。
 そんな彼/彼女らは,どのように音楽,そしてゲームと出会い,その道へと進んだのか。生い立ちからこれまでにどんなコト・モノに影響を受けてきたのかを訊くことで,より深くその人物を知ってもらうリレー・インタビュー連載が,この「私がゲーム音楽家になった理由(わけ)」。

 第2回にご登場いただくのは,作曲家の岩垂徳行(いわだれのりゆき)氏。古くは「ラングリッサー」や「グランディア」,近年では「逆転裁判」シリーズなど,数多くのタイトルの楽曲を手掛ける人気の作曲家だ。

 すでにベテランと呼んで差し支えないキャリアを持つ岩垂氏だが,音楽,そしてゲーム音楽の道へと進んだのはさまざまな友人との出会いからだった。そんな“人と人”との縁を大切にする氏らしいほがらかな,そして大好きだというおしゃべりにじっくりお付き合いいただこう。

取材・文:馬波レイ 撮影:増田雄介







■音楽はなんでも大好き,でも練習は…

――まずは生い立ちからお聞かせください。

岩垂徳行氏(以下,岩垂氏):
 1964年4月28日,長野県松本市生まれです。生まれも育ちもずーっと松本。父親は呉服屋,母親は洋裁をやっていて音楽とは全然無縁の家庭で育ちました。大学時代に上京して東京で仕事も始めたんですが,長野オリンピックのあった1998年に家族と一緒に地元に戻りました。とはいえ,曲作りに関する打ち合わせは都内で行われるので,松本と東京を行ったり来たりの生活が,もう四半世紀近く続いています。
 松本はね,水や空気がキレイ! もともと城下町で道は狭く,盆地なので夏は暑くて冬は寒いという気候ではあるけれど,僕らとしては過ごしやすいと思っています。東京の夏は暑すぎてダメだね(笑)。

――なぜ,生まれ故郷に戻られたのでしょう?

岩垂氏:
 東京住まいで息子が体調を悪くしてしまったのが大きな理由ですね。それに子供達が外で遊べるような場所がない。長野オリンピックのおかげで高速道路やインターネット回線も開通したので,だったら東京にいなくても仕事ができるだろうと考え,家族総出で引っ越しました。今も息子達は地元で暮らしています。

――音楽を始めたきっかけを教えてください。

岩垂氏:
 4歳の頃にピアノを始めたのが最初です。ただ親が言うには,ピアノに興味はなくてその教室のカバンが持ちたかっただけなんだって。なので,通うことでその夢がかなってしまったので,その後の5年間はずっとバイエル(※ピアノ演奏のための基礎練習メソッド)しかやってなかった。練習を継続するのがどうも好きじゃなくてね(笑)。
 それでも続けていたのは,教室が家から近かったから。でも,通ったことで自然と調音,いわゆる耳コピができるようになっていたんです。先生が弾いた和音をクイズ感覚で当てるのが好きだったので,それで自然と身に付いたんじゃないかな。

――そこから音楽の道へは,どのように進んでいったんですか?

岩垂氏:
 小学5年生の担任だった高野栄介先生がとても音楽好きで,クラスのみんなに音楽を教えだしたの。国語の先生なんだけど,あとから知ったら長野県のアマチュア声楽界では知らない人がいないくらい有名な方で。それで,クラスでNHKの合唱コンクールに出場したり,お昼休みにリコーダーアンサンブルをしたり,休日は先生とコンサートを聞きに行ったりと,音楽漬けの毎日を送っていてね。
 とくに選抜メンバーによる“リトルミュージシャン”という金管バンドは,校内での演奏以外にも発表会に出たりして,「ほかの学校とは違うぞ」と,ちょっと鼻高々でしたね。音楽仲間の平林 徹君と出会ったのもその時期。彼は現在,千葉県警の音楽隊の隊長をしていて,僕の楽曲でもトランペットを吹いてもらったりしているんだけど,音楽の世界に引っ張ってくれた恩人です。

――中学・高校時代はどんな生活でしたか?

岩垂氏:
 相変わらずの音楽漬け。高野先生の元で歌を習ったり,友人と一緒にクラッシックギターを習いに行って半年で辞めたり,平林君と再びピアノを習い始めたり。平林君はプロを目指すつもりだったので,主にクラシックを習ったのですが,いかんせん練習嫌いの虫が出てしまって。難しいフレーズとかは練習しないと弾けないじゃないですか。

――そうですね(笑)。

岩垂氏:
 そこで,自分で勝手にアレンジして「こっちのほうがいいんじゃないですか?」と先生に聞かせるわけです。当然譜面通りに弾きなさいと諭されるんだけどね。

――ひょっとして,その出来事がきっかけで作曲家を目指すように?

岩垂氏:
 いや,単純に練習の手を抜きたかっただけ(笑)。

――ちなみに,初めて初めて買った音楽ソフトって覚えていますか?

岩垂氏:
 渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」。中学生のときにたまたまラジオで聞いて,いい曲だなと思って買ってみたんです。そこから少しジャズに興味が向いて,山下洋輔とかを聞いていた時期がありますね。音楽を聞くことはずっと好きで,常に誰かに影響を受けていた。
 ラジオが大好きでね,NHK FMの「FMクラシックアワー」をカセットテープに録音して繰り返し聴いたり,坂本龍一の「サウンドストリート」を聴いたりね。そこから「オールナイトニッポン」までなだれ込むのが学生時代の定番で。


■音楽大学,そしてバンドマンへ

――そんな音楽漬けの日々を過ごしつつ,友人からの影響もあって音楽大学に進むことになったんですね。

岩垂氏:
 これまでの話でも分かると思うけど,専門的な勉強はしていなかったんです。音大を目指す学生って,たいてい小さいころから専門の先生に師事しているものなんですよね。
 音大を目指そうと思ったきっかけは,ぼんやりと「音楽を仕事にしたいな」という気持ちがあったから。高校のときに国家公務員の一次は合格していたのですが,二次の面接としてそれぞれの省庁に行く度に「俺には向いてないな」という気持ちがどんどん高まっていって(笑)。結局一浪して尚美学園音楽短期大学の音楽情報学科に入学したんです。その受験のときに知り合ったのが,後にトライエースを立ち上げる五島賢次君。彼も遅れての大学受験だったので,近しさを感じたのかな? すぐに仲良くなってね。そこから数年は一緒にオリジナル曲を作ったりバンドをやったりとか。現在でも付き合いは続いてますね。

――大学時代はどんな目標で学んでいたのでしょう。

岩垂氏:
 音楽の先生になろうと思っていた……というか,それくらいしか思いつかなかったなぁ。
 これはちょっと自慢なんだけど,大学で聴音や新曲視唱が案外できたんですよ,習ったことがないのに。しかも作曲専攻でないのに曲を先生に褒められたり。作曲関連の授業では問題を即答して3分で帰ったりで,そのあたりから「あれ? 俺(作曲の仕事が)できるかもしれない」と思い始めたんです。まぁ相当低いレベルでの話ですけどね(笑)。

――そうやって,作曲のスキルがあることに気が付いたんですね。

岩垂氏:
 多少できるんじゃないかと(笑)。大学でオリジナル曲を提出する課題があってね,そのときにあまり作曲が得意でない連中に「1曲1000円でやるよ」と持ちかけてね。いいバイトでしたよ。提出した連中はいい評価をもらえて喜んでたし。ただ俺だけ,やたらと低い評価だったの。先生に文句を言いに行ったら「お前がほかの人の分を作ったの,バレバレだぞ」と(笑)。

――バレてしまっていたんですね(笑)。とはいえ,そうやって作曲のスキルが向上したんですね。

岩垂氏:
 あくまで我流だけどね。そうこうしているうちに卒業のタイミングになって,地元で音楽に関わる仕事を……とTV局の試験を受けに行ったら,それがなんと経理で。ちゃんと下調べをしなかった僕が悪いんだけど,落ち込みながら行きつけのジャズ喫茶に行って,就職に失敗した仲間と傷の舐めあいをするダラけた日々がしばらく続きました。
 そんなある日,友達のキーボード奏者の家で遊んでいたら「こういう仕事があるんだけど」という連絡がきて,それに乗っかったのが,スナックなどで演奏するバンドグループ,いわゆる“箱バン”でのキーボード奏者の仕事なんです。

当時行きつけだった喫茶店が,逆転裁判「ゴドーのテーマ」の着想の源だとのこと



――図らずも音楽の仕事に就いたんですね。

岩垂氏:
 洋物のポップスを演奏するバンドだったので,マドンナやマイケル・ジャクソンといった当時はやりの曲150曲を中心に,毎月10曲の新曲をコピーして演奏するのが最初の仕事でした。とはいえ,ボーカルの人の趣味でジェームス・ブラウンやアース・ウィンド・アンド・ファイアー,クルセイダーズといったファンク系を演奏することがあって,それまで無縁だったソウル系の楽曲と出会ったり。
 ほかにも,客受けがいいからとグループサウンズや演歌も演奏しましたね。僕もボーカルで歌ったことがありますよ(笑)。バンマスの箕輪篤彦さんにはいろんなことを教えてもらいました。

――そこでも音楽の栄養を蓄えていったと。

岩垂氏:
 そうそう。目の前でバンドメンバーが演奏しているから,否応無しにバンド楽曲のイメージがたくさん植え付けられていく。クラシックは中高生時代に聴いていたラジオやレコードが中心ですけど,バンドの感覚を身に付けたのは,この時期の生演奏のおかげですね。

――お話をうかがっていると,好奇心を満たすためのキャンバスが広いのかなという印象を受けます。

岩垂氏:
 子供の頃から確かにそうだったかもしれない。高校時代がちょっと変わっていて,それぞれに専門知識を一つ突き詰めよう,というのが暗黙のうちに友人達の間ではやっていたんです。何のジャンルでもよくて僕は音楽だったけど,友達は文学だったりおいしい食べ物屋だったり。それがすごく楽しくて,どんどん知識を入れなきゃというクセは付いたかもしれない。
 キャンバスという単語で思い出したけど,ときどき専門学校の講師をやることがあって,そのときに僕は「個性を伸ばしなさい」と教えるんです。伸ばした個性の尖った部分さえあれば,その先どこかで引っかかることがあるからって。あまり広いキャンバスを想定すると大変だぞ,とね。自分自身は大きなキャンバスにデッカい丸(全ジャンル制覇)を目指しているのにね。だってどの音楽も面白いし,一つだけだと飽きちゃう(笑)。

――好奇心と飽きっぽさは表裏一体ですよね。

岩垂氏:
 やっぱり勉強や練習がキライなんですよ(笑)。突き詰めることも大変だし相当面倒でしょ。でもね,練習がキライな人ほど作曲家には向いていると思いますよ。弾けないから自分で作る(笑)。演奏家の方々って1日8時間以上練習するらしいじゃないですか。すごいよね。演奏家にはきっと練習が好きじゃないとなれない(笑)。

――話を戻します。バンドでの仕事は順調でしたか?

岩垂氏:
 4年間続きましたが,バンマスの箕輪さんが怪我しちゃったりで仕事が減ってきたの。そのタイミングでたまたま五島君から「ゲームの楽曲のアレンジをしてみない?」と頼まれたのが,「夢幻戦士ヴァリス」のアレンジアルバムの一曲。それがゲーム音楽のデビュー作。

――ついにゲーム業界での仕事が。

岩垂氏:
 さらに五島君から頼まれて作曲したのがPCエンジン版「スペースインベーダーズ 復活の日」のステージ1と2の曲。初めてのゲーム作曲仕事で,どういうデータ形式で渡せばいいのかも分からなかったから,手書きの譜面で提出しました。
 その後,「ゲーム音楽制作の会社を立ち上げたから一緒にやらないか」というお誘いがきたので,いま思うとそれが採用試験みたいなものだったのかもしれませんね。


■インターミッション:好きな作曲家と楽曲

【好きな作曲家5名と,特に好きな曲を教えてください】
 グスタフ・マーラー「交響曲第1番『巨人』」
 ポール・マッカートニー「ヘイ・ジュード」
 ジョン・ウィリアムズ「スター・ウォーズのテーマ」
 宮川 泰「宇宙戦艦ヤマト」
 ※もう1名はそのときの気分で

――選出理由をお聞かせいただけますでしょうか。

岩垂氏:
 書き出したら足りないから,人生の目標である4名にしました。一番聞いたのはベートーヴェンだけど,マーラーの曲を聴いたときの音の厚みときらびやかさにものすごい衝撃を受けて,「彼みたいな曲を書いてみたい」と思ったんです。彼自信がベルリン・フィルの指揮者なんだけど,多分楽団員を全員使いたいがためのデタラメな大編成でね。フルートやオーボエ,クラリネットが4パート。ホルンが8パートとか,当時としては明らかにおかしい(笑)。“1000人の交響曲”と呼ばれる交響曲第8番なんて,合唱が2組いるんです。俺がそんな曲を書いたら間違いなく怒られるんだけど,そんなのっていいじゃないですか。自分が気弱だからできない分,あこがれます。

逆転裁判コンサートで奏者に「異議あり!」をやってくださいとお願いするときは骨が折れたとポロリ



 ポップスの中だとポールとクインシー・ジョーンズとで迷いましたね。ポールはとくに「ヘイ・ジュード」が好きなんだけど,どの曲もいい。2013年の来日コンサートに行ったけど,あんなかっこいいジジイはいない! セルフレコーディングで発表した2枚のソロアルバムもいいよね。自分で全部やっていいんだと勇気付けられました。
 ジョン・ウィリアムズはね,もう誰もがそうだとは思うけど,どの作品を聴いても曲の作り方が上手。「LUNAR」が発売されたときにアメリカのメディアから取材を受けたんだけど,「いつかはジョン・ウィリアムズみたいな曲を作りたい」と言ったくらい。元々がスタジオのピアニストなこともあってか,キャッチーなのからマニアックなのまでいろんな作風を持ってるよね。ベルリン・フィル公演で「帝国のマーチ」を演奏したのにはしびれたねえ。
 宮川先生は,中学生のときに「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版を繰り返し観に行くくらいハマって。そこで聴いた戦闘曲のギター+オーケストラってのがすごく刷り込まれていて,それが自分がゲームで作曲するときのバトル曲の基礎になってます。あとはボス曲のパイプオルガンもね。宮川先生ってやっぱり天才だったらしくて,平林君達は「宮川先生の曲は譜面を見ただけでどう演奏したらいいかが分かる」って言っていました。これってすごいよね,みんながそう言うんだから間違いない!


■ゲーム音楽家としてのキャリアがスタート

――そうして本格的にゲーム音楽の道へと踏み出されました。

岩垂氏:
 PCエンジンの「アフターバーナーII」以降はしばらく仕事がなくて苦労しましたけど,しばらくしてメガドライブの「ダライアスII」や「ラングリッサー」の仕事がきて,いくらか軌道に乗ってきました。

――当時のゲーム機のサウンド性能だと,物足りなさや制約を感じることもあったのでは?

岩垂氏:
 バンド演奏などとは違い,やっぱり制約を感じましたね。メガドライブはFM音源を搭載していたけど,当時流行していたYAMAHA DX-7と比べるとオペレーターが二つ少ないので細かな音作りができなかったし。またメガドライブはアンプがヘボくて,内心では「なんでこんな悪い音で曲を作らなくちゃいけないの!」と憤っていましたね。ただ,ゲーム音楽的なミニマムさは好きだったんですよ。開発からの「1バイト削ってほしい」みたいな注文に燃えたり(笑)。

――いい話です(笑)。

岩垂氏:
 そうこうしているうちにいろんな会社とのつながりができたんだけど,中でも忘れられないのが,リットーミュージックの仕事で「ドラゴンクエスト I〜V」のオーケストラ譜をMIDIデータ化して,SC-55音源で鳴らせるようにしたこと。すぎやまこういち先生の譜面と向き合うことでオーケストレーションを勉強することができたし,完成したデータをすぎやま先生にチェックしていただけたことも嬉しかった。

――それはテンション上がりますね!

岩垂氏:
 ステンドグラスのあるステキなご自宅で,雑談をしながらチェックをしていただいたんですけど,ドラクエVのロンドンフィルとのレコーディングの様子を聞かせていただけたのは嬉しかったです。ビックリしたのは,先生は休憩時間になるとずっとゲームを遊んでいるの。

――アナログゲーム時代からずっとゲームがお好きだというのは公言されていますが,それほどでしたか。

岩垂氏:
 当時のエピソードとしては,ほかにもGM(※General MIDI:機種を問わない標準的なMIDIデータ)規格を策定するための会議に出たこと。カシオとリットーミュージックが司会で,YAMAHAやKORG,ローランドなどの音源メーカー,そしてカミヤスタジオなどシーケンサーソフトを販売している各社が出席していてね。僕らからは「オーケストラを鳴らすためには最低64音の同時再生が必要です」といった意見を出しました。YAMAHAとローランドがバチバチやってましたよ。ローランドがGS音源を勝手に出したことをYAMAHAとKORGが怒ってね。

――デジタルサウンドの主導権争いを目の当たりにされていたと(笑)。

岩垂氏:
 あとは,ホット・ビィというメーカーが問屋に見せるためのプロモーション用の楽曲をなぜか大井競馬場にあるスタジオで収録したりと……とにかくいろいろな経験をさせていただきました。プロフィールに大っぴらに書けない仕事も,アルバイトでたくさんしましたし(笑)。
 とはいえ会社経営的にはちょっと苦しかったようで,とある出来事をきっかけに辞めることにして。そしたら,キューブの同僚だった溝口 功さん(※またの名をドン・マッコウ)から「新しい会社を作ろうよ」と誘われて立ち上げたのがツーファイブ。


■ツーファイブの設立,そしてフリーランスへ

――ツーファイブ所属以降は,お名前を雑誌などで拝見する機会が増えました。

岩垂氏:
 仕事を続けているうちにだんだんと名前が知れるようになってきましたね。ツーファイブ以前にも「LUNAR ザ・シルバースター」が「Beep!メガドライブ」という雑誌で最優秀音楽賞をいただいたりもしました。メガドライブはいかんせんマイナーだったけど,その分,競争相手が少なかったのが良かったのかな(笑)。

――会社設立時はどんな様子だったのでしょう。

岩垂氏:
 溝口さん,大熊謙一君,僕という3人で立ち上げた会社だったから,まずやりたいことをやろう! と,いくつか目標を立てたんです。出社時間を13:00にしたり(笑),年に一度は海外に社員旅行をしたり。出社時間に関しては取引先との連絡が滞るってことで早々に撤廃されたけど(笑)。
 めちゃくちゃに忙しかったけど,作曲以外にもいろんな勉強をさせてもらいましたね。会社は違ったけど,崎元 仁君や松尾早人君とチャットをしたり,武内基朗君達と朝までボウリングやキャンプをして遊んだり。
 そうして夢を一つずつ実現していったんだけれど,会社に人が増えてくると管理職的な仕事が増えてきて。僕としては作曲の仕事を続けたかったから,「すまないけれど作曲家として外から支援するわ」とフリーランスになったんです。

――あくまで作曲の仕事をしたかったと。そうしてフリーになってからは?

岩垂氏:
 フリーになってからのほぼ第1作目が「グランディア」。あれは開発スタッフに作曲家の名前を明かさない状態でのコンペが行われたんだけど,まずは言われて1日で仕上げた曲を提出したら,最終選考の5名に選ばれて。そこからは,開発スタッフと直接会ってメインテーマを3日で提出。ツーファイブの作業環境を借りて作っていたんだけど,ちょうどみんな,社員旅行で海外に行っていたタイミングで,「コンチクショー!」と思いながら手書きで譜面に記してました(笑)。

――ここでも手書きでしたか!

岩垂氏:
 当時,レコーディングなどは基本的に手書きでしたね。今でもいつもミニ五線譜を持ち歩いて,アイディアを思いついたらバババッとメモを取るようにしています。「グランディア」や同時期に手掛けていたディズニー(※東京ディズニーリゾートのショー楽曲)などのオーケストレーションが必要なときは,だいたい譜面で作っちゃう。
 もちろんPCのDAWも使っていて,今はMOTU Digital Performer 10。音源はほぼソフト音源になってしまったけど,アナログ音源もまだ健在です。マスターキーボードはKORG Trinity X Pro。オーディオインターフェイスはUAD Apollo 8などですね。

岩垂氏が常に持ち歩いているというミニ五線譜。複数ページに渡って“楽曲のネタ”がぎっりし書き込まれている



――手書きで書き続ける理由は何かあるのですか?

岩垂氏:
 音に出して演奏すると,その楽器のイメージが付いちゃうんです。だからなるべく,頭の中に浮かんだものを五線譜に写すというのがいい。それはメロディだけの場合もあるし,伴奏まで全部鳴っている場合もある。それを急いでメモするんだけど,パートが多いと取りこぼしちゃうこともあってね。
 データにしないのは,そこで鳴っている音に引っ張られてしまうのと,打ち込む作業に脳みそを持ってかれてアイディアが止まっちゃうっていうのもある(笑)。

――作曲の手順を大まかに教えてください。

岩垂氏:
 まずはメロディ→ハマるコードを考える→ベースラインなどの肉付け→最終的にミックスして自分で完成させる,というのが理想形かな。ただ納期が迫っているときや,全然浮かんでこないときは伴奏を先に作っちゃうこともあります。

「二度と同じものができないし同じパターンが通用しないのが作曲。だから面白いんだね!」とも。




■ゲーム音楽を通じて世界各地の人々とつながれる喜び

――岩垂さんはオーケストラの譜面もご自分で書かれるそうですが,それはどうやって学んだのでしょう?

岩垂氏:
 オーケストレーションを専門的に学ぶような環境にはいなかったけど,クラシックが好きだったからでしょうね。とくに,クラシックとジャズは時代によって大きな変化が起きることもそうそうないから,これらを学んでおけば年をとっても食うには困らないことに気付きました。あとは演歌ね(笑)。これがポップスだと流行,そして作り手のセンスによる影響が大きいからね。

――確かに岩垂さん楽曲というと,クラッシックかジャズの色が濃い曲を思い浮かべる人が多いかもしれません。でも,タイトルによってけっこうイメージがまちまちな気もします。

岩垂氏:
 作曲の方向性を変えるのが大好きなんですよ。なので,僕のファンは作品ごとにまちまち。RPG,アドベンチャー,恋愛シミュレーションとみんなカテゴリが分かれているから。「逆転裁判」シリーズ好きの人が,やっと最近「『グランディア』も岩垂さんだったんですね」と気付いてくれたくらい。そんなのがしょっちゅうです(笑)。

――近年では,ライブ活動や自主制作CD・DVD制作,同人音楽イベントへの参加など,作曲以外の活動も積極的に行われています。

岩垂氏:
 実はコンサートで演奏をするようになったのは,2014年にノイジークロークが企画した「沖縄ゲームタクト」からなの。それまではオーケストラの中で演奏する機会っていうのは全然なくてね,「やっとオーケストラで演奏できる!」って嬉しかった。指揮は昔から憧れてちょくちょくやっていたけれど,琉球フィルハーモニックオーケストラと共演できたり,東京フィルハーモニー管弦楽団で「逆転裁判」の曲を振らせてもらったり,もちろんゲームタクトでは多くのゲーム好きの若い奏者と一緒にいろいろな曲を指揮できて良かったです。関わってくれたみんなとの出会いに感謝ですね。
 自主制作に関しては,これからは自分でコンテンツを持たないといけないなと思ったのがきっかけです。2010年にフランスのJAPAN EXPOに行ったときに,自分自身のオリジナル作品があればもっと喜んでもらえたなって思って。海外に行くまでは自分の名前が本当に知られているんだ、ってことにあまりにも無自覚だった。

――フランスではどんな様子で迎えられたのでしょう。

岩垂氏:
 それが,大熱狂で迎えてくれたんですよ。ゲーム作曲家としては初のゲストだったんですよ。ライブもやってね。対バンがX JAPANや聖飢魔IIといった豪華なメンバーで。日本では明らかに俺が入ってるのがおかしい並びなんだけど,「ゲーム音楽って,そのほかの音楽と同等なんだ」ということをあらためて教えてもらった気がします。すごく思い出深い出来事です,朝から晩まで取材漬けだったことも含めて(笑)。
 2013年にアメリカで行われたJAPAN EXPOでは,そこで出会った青年が「僕は学校の先生なんだけど,小さいころに聴いたLUNARの曲を生徒に聴かせたくてここに来ました」と言ってくれたんです。本当に嬉しかったですね。次の世代に聞いて欲しい音楽として認識されて。感無量です!

――おお,いい話です。

岩垂氏:
 ちょっと感動的でしょ? そういうつながりが本当に広がって、こうやって実際に出会えたり、メッセージが来るのが嬉しいですね。今ではアメリカやヨーロッパだけじゃなく、中国や韓国,シンガポール,ブラジル,ロシア,オーストラリアなど世界中ファンからメッセージが届きますよ。ありがたいことです。

――音楽を通じて人との関わり合いを,というのが規模を大きくして広がっていっているのがすごいです。

岩垂氏:
 格下に見られていたゲーム音楽が評価されてステータスになったというのは,大小の差はあれど,僕に限らずゲーム音楽家は感じているんじゃないかな。
 以前は「かつて映画が市民権を得るまでには100年がかかった。ゲームも100年後には市民権を得るだろう」という論文を真面目な音楽雑誌に掲載したことがあるぐらいなんだけど,100年を待たなくても良かった。

――現役のうちに評価されて良かったです。

岩垂氏:
 ただね,まだ文化の領域には来てないの。アカデミー賞なんかに選ばれるくらい,全世界・全年齢に浸透するくらいになってこないとね。でも,今の若い子らは生まれたときからゲームに親しんでいるわけだから,十分土台はできている。この先はもっと楽しみだね!

――フランスの話題が少し出ましたが,フランスのWayo Records(https://www.wayorecords.com/en/)から「グランディア」の5枚組CD(※アナログレコードは3枚組)アルバム「Grandia Complete Soundtrack」がリリースされています。こちらはどういう経緯で世に出ることになったのでしょう?

岩垂氏:
 Wayoスタッフのロマン君とはフランスのJAPAN EXPO以前からの友達で,いろいろな面でお世話になっています。ほかのスタッフもとても気さくな人達ばかりで,彼らと何かをするのがいつも楽しくてたまらないです。
 「グランディア」の5枚組アルバムを作ろう,と持ちかけられたのは,Nintendo Switchで「グランディア HDコレクション」の発売が決まるよりずっと以前の話。彼らからこの提案をもらったときは「一緒に冒険に出かけないか?」って語りかけられたようで、そして,世界中にいるファンの方に「また一緒に冒険に出かけよう!」って言える!! と思って,とても嬉しかったです。

――制作は順調に?

岩垂氏:
 実は当時の音源のマスターが見つからず,僕が保管していたDATから音源を抜き出すという作業から始まったんですが,最初はうまく抜き出せず肝を冷やしました。本谷利明監督にはジャケットイラストや,ライナーの文章を描き下ろしていただき感謝しています。ビニールレコードが出るというのも一つの驚きでしたね。

Grandia Complete Soundtrack



――メインテーマをアレンジしたオルゴールも発売されました。

岩垂氏:
 これもWayo Recordsからの提案です。まず楽曲を選定して,その曲をオルゴールの櫛歯に合わせてアレンジしました。商品には収録曲の譜面が描かれたサイン色紙がつくのですが,右手が痛くなるくらいの枚数のサインを書かせていただきました。まだ実物を見ていないので仕上がり具合はわからないのですが,世界中から「届きました!」という知らせが届いていて嬉しいですね!

限定250台が販売されているオルゴール



――トリビュートアルバム「Twelve Doors - Tribute To Noriyuki Iwadare」についてもお聞かせください。

岩垂氏:
 2019年4月に,アルバムの企画者であるニュージーランド在住のバイオリニスト・磯村ショーノ君からメールで相談が来たのがきっかけです。一度も会ったことのない方からのメールでしたが,その熱意が素晴らしくて,即座にOK。それから選曲,そして各メーカーに許諾を取る作業となりました。
 僕は数多くの作品,数多くのメーカーと携わっていたので許諾を取るのが本当に大変で,さまざまな事情から収録できなかった曲もたくさんありました。それでも選んだ11曲は僕の代表曲だと思います。

――聴く側としても納得できる収録曲だと思っています。

岩垂氏:
 ピアニストもベンくん(ベンヤミン・ヌス氏)に決まり,その後のアレンジは,大島ミチルさんをはじめこれまた多くの人に携わってもらいました。ヴァイオリンとピアノのみの編成だけれど,いろいろな表情を見せてくれるアレンジになったと思います。
 僕も1曲だけ,オリジナル曲「comeover」を作りました。この作曲を始めたのが中国の武漢で新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時期で,それまでの幸せだった日々が失われ,どうすることもできない状況が突然現れ,けれどそれに立ち向かう人たちへのエールとして作りました。ぜひ聞いてもらえたら嬉しいです。


■音楽の入り口に恩返しするために吹奏楽曲を書きたい

――今後手掛けてみたいことは何かありますか?

岩垂氏:
 ずっとお世話になってきた音楽に恩返しをしたいので,音楽の入口になった吹奏楽の曲を作りたいですね。ただ,僕は吹奏楽のサウンド自体はそれほど好きじゃないんですよ。なんとなく音がモワモワしていてね。多分ベルが上を向いている楽器がモワモワさせているんだろうけど,彼らは重要だしね。木管楽器のアレンジ上の組み合わせも難しい。つまり,いまだに“固まっていない”音楽だということで,新たな発見のできる音楽形態として,取り組みがいがあると思っています。
 何にせよ,吹奏楽には恩返しをしたいので,なにか一曲書かなきゃ! みたいな使命感は持っていて,この数年試行錯誤してます。自分が経験してきたジャンルだけに,理想が高くなっちゃってね。なかなか書けない(笑)。

――音楽に限らず今後の楽しみは?

岩垂氏:
 人生プランとして50歳まではクラシックをしっかり勉強して,そのあとはジャズを,60歳になったら絵画(油絵)をやりたいと思っています。描きたいテーマとかなんにも決まってないけど,以前占いで“大器晩成”って言われたので焦ってない!
 でもそもそも,オリジナルの曲を作って気付いたんだけど,自分の中に「自分自身の曲を書きたい!」って欲求があんまりないんだなって。仕事として与えられた条件で,作品に付随する曲を書くのは好きなんだけどね。自分で望んで書いたのって,学生時代に彼女へ贈った曲くらいかな(笑)。

――作曲以外で興味のあることを教えて下さい。

岩垂氏:
 うーん,総合すると「人間」かなぁ。それぞれの人がそれぞれの考えを持ってそのときに最善の決断をしながら生きていますよね? そして多くの人と接して感じて考えて行動している。同じ人生なんてないし,何に対して喜び,何に対して怒り,何に対して感動するかも本当に違います。だからいろいろな人達の話を聞くのがとても好きですし,興味があります。
 そうしていろんな人の人生,人格と触れ合うことで,それが幅広い曲を生み出すんじゃないかとも思っています。例えばキャラクターの違う登場人物達の曲を書くことは頻繁にあるんですが,テキストだけでは表現しきれない内面を作り上げるのも音楽の仕事ですから。そういった内面を理解するためにも,多くの人と接しているっていうのはきっと,作品作りに影響を与えていると思いますよ。

3時間近くの取材にも「まだまだ話し足りないね!」とおしゃべり大好きな顔を覗かせる。



――作曲の仕事の魅力とはなんですか?

岩垂氏:
 僕自身は本名で作品を発表していますが,それは今までに出会ってきた人達に「僕は元気だよ~」って伝えるメッセージだとも思っているんですよ。学生時代に作ったばかりの曲を電話の受話器を通して友人に聞いてもらったりしていた頃と,気持ちはまったく変わっていません。あなたへの手紙ですね。そんな感じ。それが僕の場合は音楽なんです。
 仕事となると,ちょっとニュアンスが変わってきます。ただ曲を作るだけではなく,一つの作品を作るためにさまざまなクリエイターの方達との共同作業となるわけです。とくにゲームはいろいろなジャンルの曲を求められますからね,探究心旺盛な僕にはぴったりですし,やりがいのあるお仕事です。面白いですよ~~!

アニメやドラマとは違って「ゲーム音楽はメロディが強いのも魅力。ディズニー(リゾート)の仕事とも共通してる」と見識を語る



――では最後に,次回のゲストをご紹介ください。

岩垂氏:
 「モンスターストライク」の作曲でも有名な桑原理一郎さんを紹介します。いろいろなゲーム作家がいますけれど,彼ほど面白い人はいないです! 彼の体験記をぜひ聞きたいし,その独特な考え方,どんな育ち方をしたのかとか,誰よりも僕が興味がありますので,ぜひよろしくお願いします!










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