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音で綴られる“手紙”─。なるけみちこの音楽世界

Article written by 永芳 英敬 Twitter(@hide_gm




その1:「最初のファンが、金子くんだったんです。」


斉藤
永芳
本日はよろしくお願いいたします。

なるけ こちらこそ、よろしくお願いします。

斉藤 さっそくですが、なるけさんは、
どんな経緯でゲーム音楽を書かれるようになったのですか?

なるけ 私、ゲーム会社に入る前は、地元の楽器店に勤めていたんですよ。
エレクトーンのデモ演奏や楽器販売をやっていたんですけど、
もっと違う仕事をしたいなと思って、やめたんです。
やめた次の日に、これからどうしようかなと思ってフロムエーを買ってみたら、
日本テレネットというゲーム会社のサウンドプログラマー募集を見つけまして。
これだ!と。

斉藤 即決されたんですね。

なるけ はい。ただ、なぜゲーム会社を志望したかというのは理由がありまして。
私が楽器店に勤めていた当時のバンド仲間に、
S.S.T.BAND(※)の並木晃一さんがいたんです。

※S.S.T.BAND
1988年、セガのゲーム音楽を演奏するために結成された、
世界初のゲームミュージック“ライブ”バンド。現在は「Blind Spot」として活動中。

斉藤 並木さんですか!

なるけ はい。彼から「セガでゲーム音楽を作っている」と聞いていたので、
どんな感じのお仕事なのか尋ねてみたんです。
すると、「曲を書き終えれば自由時間だから、そこでギターの練習をしている」と聞いて。その仕事いいな!って思ったんですよ。
じゃあ、私もそういうお仕事を探してみよう!と……そんな話をしていたんです。
なので日本テレネットに応募しました。そうしたら、受かって……
いや、“当選”したような感じですね。
後から聞いたんですけど、70人くらいの応募があったそうなんです。
でも、女性の応募は私を含めて2人だけだったそうで。
その時は音楽を書ける人ではなく、お茶くみの女の子が欲しかったらしいんですよ。
まあ結局、お茶はくみませんでしたけど(笑)。

斉藤 そうだったんですか(笑)。
なるけさんは、もともとゲームはプレイされていたんですか?

なるけ いえ、私はゲームってほとんどプレイしたことがなかったですね。
ただ私、9つ離れてるファミコン世代の弟がいまして。
家で弟がプレイしているゲームは、ずっと見ていたんです。
そこでゲーム音楽はずっと聴いていました。
『ドラゴンクエスト』とか『ファイナルファンタジー』とか、
そういう有名どころは聞き馴染んでましたね。

斉藤 弟さんのプレイで、間接的にゲーム音楽を聴かれていた、と。

なるけ はい。まさか、それを作るほうになるとは思っていなかったですね。
ゲーム音楽を作る仕事をやると弟が聞いた時は、すごくビックリしていましたよ。
私がこの仕事を続けていることも、いまだにびっくりしてますね。

斉藤 その後なるけさんは『ワイルドアームズ』の制作に携わることになるわけですが、
制作に関わったのは、どんな経緯なんでしょうか。

なるけ 日本テレネットに入社後、作曲を始めるようになりまして。
『天使の詩』シリーズというRPGの音楽を2作品担当したんです。
『天使の詩』には、金子くん(『ワイルドアームズ』のゲームデザイナー・金子彰史氏)も関わっていて、一緒に仕事をしていました。
金子くんは、1作目はサブで、2作目はメインで企画をやっていたんですけど、
2作目の開発が終わった直後に、彼がチームもろとも、
ごっそり20人くらいで会社を辞めたんですね。

斉藤 チームごと独立されたんですか。

なるけ そうですね。あの頃はそういうのが流行ってました(笑)。チームごと引き抜き、とかね。
その1年後くらいに私も会社をやめて、フリーでいろんな仕事をしていたんです。
そんな時、金子くんからすごく久しぶりに電話がかかってきて。
「実は、メディアビジョンっていうゲーム会社を作ったんだ!」と言われたんです。
「え、全然知らなかった!」って、びっくりしましたよ。
「これからRPGをまた作るから、なるけさん、音楽やって」と言われて。

永芳 金子さんから直々に依頼があったんですね。

なるけ はい。それで『ワイルドアームズ』の音楽を担当することになりました。
私の音楽のファンになってくれた最初の人は、金子くんだったんです。
社内では、私の音楽ってあまりウケがよくなかったんですよ。
ちょっとゲームっぽくないところがあって。
ゲーム音楽をどう作っていいかもよくわからなかったので……。
でも、金子くんだけは私の音楽を気に入ってくれて、ほめてくれていましたね。


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