ビデオゲームの進歩とともにその重要性を増し,現在では一つのカルチャーと言ってもいい存在となった“ゲーム音楽”。その功績を語る上で欠かせないのが,数々の名曲を生み出し,演奏してきたゲーム音楽家達の存在だ。
 そんな彼/彼女らは,どのように音楽,そしてゲームと出会い,その道へと進んだのか。生い立ちからこれまでにどんなコト・モノに影響を受けてきたのかを訊くことで,より深くその人物を知ってもらうリレー・インタビュー企画「私がゲーム音楽家になった理由(わけ)」をスタートする。

 その第1回にご登場いただくのは,作曲家の坂本英城氏。「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」,「文豪とアルケミスト」,「討鬼伝」シリーズなど今や人気タイトルの楽曲を手掛ける作曲家,そしてゲーム音楽制作会社ノイジークロークのCEOとして知られる坂本氏だが,そこに至る道のりは想像以上に曲がりくねったものであった。
 ロックさを感じさせる少年時代のエピソードや音楽との向き合い方などとあわせて,坂本英城氏という人物を深く掘り下げていこう。

取材・文:馬波レイ 撮影:増田雄介







■“モテ”に惹かれた学生時代

――まずは生い立ちからお聞かせください。

坂本英城氏(以下,坂本氏):
 1972年11月14日東京都足立区出身,親子三代東京生まれの江戸っ子です。母親はハワイアン歌手というニッチな職業で,CDを出すなど活躍していました。並行して銀座でジャズライブハウスを経営していたんですが,その店のギタリストをやっていたのがうちの父親です。母親が10歳近く上の年の差婚でした。

――ご両親共にミュージシャン兼店舗経営だと,顔を合わせる時間も少なそうですね。

坂本氏:
 そうでしたね。店は夜に営業し,休みが日曜日だけだったので,平日,学校から帰ってくる頃には両親は仕事で出かけるタイミングで。なので祖母に育てられた感じです。とはいえ祖母も祖母で働いていたので,いわゆる鍵っ子でした。放課後に友達と遊んでから帰宅すると,テーブルの上に祖母からの手紙と漫画雑誌なんかがあって,それをよく読んでいたのを覚えています。「コロコロコミック」が大好きな小学生でした。

――音楽とはどのように出会ったのでしょう?

坂本氏:
 最初に触れた娯楽が音楽だったんです。家では常にクラシックや歌謡曲が流れていたのに加えて,4歳ぐらいのときには母が仕事で使うアップライトピアノに強い興味を持っていたそうで。それを見た母が,「だったら習わせてみよう」となって,幼稚園の放課後に先生が来て教えてもらっていました。小学校の高学年になる頃にはやめちゃいましたけど。

――それはまたなぜ?

坂本氏:
 何しろモテない(笑)。やっぱり小学生のモテの価値観って,かけっこが速いとかサッカーがうまいとかじゃないですか。なので音楽をやっているのは男らしくないと思って,ピアノをやめてサッカーや水泳に興じるようになりました。

――幼少時代から音楽一筋というわけではなかったんですね。

坂本氏:
 聴くことはずっと続いていましたけどね。とくに歌謡曲は,母がラジオ番組をカセットテープに録音したものを,出かけるときの車内で流していたのを聴いていました。
 ただ将来,何の道に進みたいとかはまったく考えていませんでした。あ,そういえば小さい頃に将来の夢を「電車の運転士」と言ったら,父親から「決められたレールの上を行き来しているだけじゃないか」と怒られたのを覚えています。電車の運転士さんだって社会を支える立派な職業なのに(笑)。

――なんというか,ロックな教育方針です。

坂本氏:
 そういえば僕の人生にけっこう影響を与えた出来事があって。小学校の担任が「ロックなんて不良がやる音楽を聴いちゃダメ」とホームルームで言ったことがあるんです。それを家でポロッとこぼしたら,僕の知らないところで母親が学校に乗り込んで「ロックだって立派な音楽だ」とその担任を説き伏せたんですね。母親格好いいな,と。そのときに「ああ,偏った考え方はしないようにしよう」と心に刻みました。
 小学校の高学年になると,毎年スポーツを頑張ってリレーや水泳の選手に選ばれたんですが……それでもちっともモテませんでした。どうももっと根本的なところに理由があったようで(笑)。

――切ない話ですね……。ところで,ゲームとの出会いはいつ頃でしたか?

坂本氏:
 小学校の低学年からオセロや将棋を週に一回,父と風呂上がりに楽しんでいたのが原点です。電子ゲームとの出会いも割と早くて,ゲーム&ウオッチやカセットビジョンに夢中になっていました。あまりに夢中になりすぎて親もマズいと思ったのか,ファミリーコンピュータは買ってもらえませんでしたね。でも従兄弟の家にはあったので,遊びに行くたびに一人で黙々とファミコンを遊んでいました。
 そこで忘れもしない,中学2年のときのことなんですが,「ドラゴンクエスト」との衝撃的な出会いがあったんです。TVから流れる音楽を耳にして「三つの音だけで音楽として成り立っている!」と中学生ながらに感銘を受けました。通常なら60人程度で演奏するリッチな楽曲を,これだけコンパクトにできるなんて,一体どういう仕組みなのか? と。ピアノが弾けるのを幸いと耳コピをしてみたら,音楽的にもすごいことになっているというのが理解できました。

――ピアノを習っていたことが,ここで役に立ったわけですね。

坂本氏:
 そうなんです。そしてその2年後に発売された「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」は,当時で400万本以上をセールスするおばけソフトで。「これを仕事にしたら,この先素敵な人生が待っているぞ」と考え,「ゲーム音楽を作る人になる!」と親に宣言したんです。

 当然,親からは「こんなオモチャから出ているピコピコが将来まであると思うか」と怒られました……。今だと「将来はYouTuberになりたい!」と子供が言ってるようなもんですよね(笑)。

――その宣言後はどんな行動を?

坂本氏:
 まずは鍵盤を買ってきました。原始的なシーケンサーが内蔵されていた機種で,それを使って曲作りを始めて。
 あとは祖母にねだって,PC-8801FHのブラックモデルを購入してもらいました。当時は斬新だった黒い筐体がかっこよかったですね。MML(※)で曲を打ち込んで,遊びに来た友達に聞かせたりして。

(※)Music Macro Languageの略称。PCで音楽演奏をするためのデータ記述言語

――自作曲がメインだったんですか?

坂本氏:
 いえ,「ドラゴンクエスト」のサントラに譜面が付いていたので,それを打ち込んだりもしていました。耳コピでは追えなかった早いパッセージでもゲームと同じように再現できることに感動したりで,なおさらのめり込んでいきました。鍵っ子だった影響もあってか,一人でちまちま作業するのがどんどん楽しくなっていきました。
 ただここでも誤算があって,やっぱりモテないんですね(笑)。「ゲーム音楽家になりたい」と公言しても,ゲーム=オタクといった偏見があった時代ですので。

――なかなかモテに恵まれない小中高生時代だったと(笑)。では,大学時代は?

坂本氏:
 早稲田大学では音楽と全く関係のない西洋文化専修で哲学を専攻していました。高校では数学が得意でしたけど理系には女性がいなかったので,モテたくて文系を選んだわけです(笑)。
 振り返ってみると“モテたい”って気持ちは,誰かに関心を持ってほしい気持ちからだったのかもしれませんね。小さい頃は家には親がほとんどいなく,相談することもあまりできませんでしたから。

――寂しさの裏返しだったかもしれない,と。ところで,なぜ哲学を専攻されたのでしょう。

坂本氏:
 昔から達観しているところがあって,一生懸命な人に対して「なんでそんなに一生懸命なの?」と考えてしまうクセがありました。僕が好きな哲学者のデカルトが残した言葉に「我思う,ゆえに我あり」というのがあって,“自分を含めた世界のすべてが偽物だとしても,意識する自分の存在は疑うことができない”という考えなんです。そういうものを専門的に学んでみたかったんですね。
 とくに「美学」という講義がすごく好きで,要するに「花を見て美しいと思うのはなぜなのか」「美人はなぜ美人なのか」というようなことを考える学問なんです。確実に美しいものとそうでないものの違いはどこにあるのかを見極めていく,という。
 これは音楽を作るうえでも影響を受けたところだと思っていて,「このメロディや和音運びは大多数の人が美しいと思うはず」というところに考えが及ぶようになったんです。あの講義を受けたおかげですね。

――音楽活動はどのような具合だったんでしょう?

坂本氏:
 勉強と並行して,音楽制作にもどんどんのめり込んでいきました。当時は,作編曲や打ち込み,歌やコーラスや作詞までを1人でやってヒットを飛ばしていた槇原敬之さんの影響を受けまくっていて,バイト代でMacintosh LC IIとシーケンサーソフトのPerformerを購入しました。
 さらにマッキーと同じ機材をそろえ……たかったんですが,さすがに高価すぎたので,それなりの音源やミキサー,DATレコーダーを買い集めました。

個人での音楽制作とは別にバンド活動(ジャンルはパンクやハードロック!)に参加していたとの意外なエピソードも




■決して順調ではなかった作曲家への道

――大学卒業後はどのように進路を決めたんでしょう?

坂本氏:
 僕が1996年に大学を卒業するときは,ゲーム業界,ここに極まれり! な時代になっていました。大卒者の人気就職先ランキングでセガが第5位だったと言えば雰囲気は伝わるでしょうか。
 ゲーム音楽についても,すぎやまこういち先生,植松伸夫さんを筆頭に,古代祐三さんやHiro師匠,東野美紀さん,下村陽子さん,光田康典さんとスター作曲家が台頭していた時代です。すでに歌謡曲で有名だったすぎやま先生は別として,彼らがどんなふうにその道を進んだかといったら,やはりゲームメーカーに入社をしているんですね。というかその方法しかなかった。
 そこで就職活動では,手当り次第ゲームメーカーに履歴書を送りました。ですが,やはり音楽制作での募集というのが,そもそも少なくて,そこに応募者が殺到するのでなおさら狭き門で。面接までいったメーカーはあったんですけど,残念ながら結果は全滅でした。
 それでも唯一音楽業界の仕事としてひっかかった音楽制作会社に就職をしました。そこでは1年くらい仕事をしていたのですが……。

――が?

坂本氏:
 入社1年目ですからお茶くみみたいなもので。取引先の社長が乗っている高級外車を駐車場に停めたりとか。車体がデカくて,免許取り立ての若造だった僕は冷や汗を流しながら切り返しをしてました(笑)。朝までレコーディングとかもザラでしたけど,音楽制作の現場でスタジオワークを体験できたことは今に役立ってますね。ただ本当に雑用ばかりだったので「ここで仕事をしていても,作る側には回れない」と1年ほどで辞めまして,そこからはフリーランスの作曲家としての活動をスタートしました。

――フリーランスとしての活動も,最初のうちは苦労されたのでは?

坂本氏:
 そうですね。自分でデモテープを持参してゲーム会社に営業をかけるわけなんですけど,当然ながら何の実績もない若造ですから,大手メーカーさんは門前払いでした。でも開発会社さんからは幸いなことに仕事を少しずつ,いただけるようになりました。今でも関係が続いている会社さんもあります。

――でもそれぐらいだと作曲仕事だけでは生活は……。

坂本氏:
 いやもう全然(キッパリ)。それだけで食えないのは独立するときから分かっていたので,大手チェーンの古本屋でのアルバイトをしながら食いつないでいく毎日でしたね。お店のオペレーションが非常に洗練されていて,店長代理的なこともやらせていただいたので,今思えばそこで経営についても勉強させてもらっていました。
 とはいえ,古本屋のバイトもゲーム作曲家になりたいという夢とはまったく違っていて(笑)。20代で溜め込んだ知識が,その後の人生を決めるぞと考えをあらためて,ゲーム開発会社で企画のアルバイトとして働くことにしました。

――よりゲームに近い場所に身を置く必要がある,と。

坂本氏:
 はい。そこでは“ゲームはどのように作られているのか”という基本的なことを学ばせていただきました。フリーの作曲家だとあくまで“曲を作る人”なだけなので,クライアントの真の意向をくみ取れない可能性があったなと思います。結局その開発会社さんには6年ほどお世話になったんですけど,企画書やシナリオ書きなどをしながら,担当タイトルの音楽や効果音を作っていました。

――だいぶ当初の夢に近づいてきましたね。

坂本氏:
 それで30歳を過ぎたのを期に「音楽一本に絞ろう!」と決心して,ノイジークロークの法人化に踏み切りました。当初は社長の僕1人だけだったのですが,やはり会社という信用がないと自分がやりたい仕事に携わることができないということが,6年間で痛いほど分かりましたからね。


■インターミッション:好きな作曲家と楽曲

【好きな作曲家を5名教えてください】
 菅野よう子
 すぎやまこういち
 植松伸夫
 モーリス・ラヴェル
 ジョン・ウィリアムズ

――好きな作曲家を5名あげていただきましたが,選出理由をお聞かせいただけますでしょうか。

坂本氏:
 好きな作曲家はほかにもたくさんいますけど,泣く泣く5人に絞りました。全員の共通点としてはオーケストラが書けること,あと,僕からみると“音楽が自由”なところです。まるで溢れ出る感性がそのまま譜面となり,音楽となっているかのように思える。もしかしたら,その自由さを手に入れるためにはキチンと音楽を学んではいけないのかと思うほど。とくに菅野さん,ラヴェル,ジョン・ウィリアムズの3人は「本当に実在する人間が作っているのかな?」という感覚に陥るほど,神懸かった音楽に感じます。皆さん,永遠に背中を追い続けたい存在です。

【好きな作曲家のとくに好きな曲を教えてください】
 菅野よう子「プラチナ」(TVアニメ「カードキャプターさくら」主題歌)
 モーリス・ラヴェル「ダフニスとクロエ」(バレエ楽曲)
 ジョン・ウィリアムズ「Flying Theme」(映画「E.T.」)
 すぎやまこういち「街」(ゲーム「ドラゴンクエストIV」)
 植松伸夫「メインテーマ」(ゲーム「FINAL FANTASY V」)

――先ほどあげていただいた作曲家の作品の中で,とくに好きな曲をそれぞれ1曲ずつ教えてください。

坂本氏:
 「プラチナ」はCDショップの店頭で曲を聴いた瞬間,あまりの衝撃に「今流れている曲名を教えてくれ!」と店員に詰め寄ったことがあります。菅野よう子さんとの最初の出会いでした。
 ラヴェルはピアノ曲や室内楽にいい曲がいっぱいあって絞りきれないのですが,あえて1曲に絞るなら「ダフニスとクロエ」で。
 「E.T.」は小学4年生のときに家族総出で見に行ったのに加えて,クライマックスでかかる曲をどうしても手に入れたくて,当時出始めていたレコードレンタルショップで借りてもらった思い出があります。中身がドラマサントラで,聞きたくもない情景説明まで聞かされたのを含めて(笑)。
 「ドラゴンクエストIV」の楽曲はどれも好きなんですけど,とくに「街」は軽快なメロディがいいですね。
 植松さんといえば,もう「FINAL FANTASY V」のメインテーマ。タイトル画面で流れるんですけど,あまりに名曲でスタートボタンが押せないんです。ノイジークロークが企画した「沖縄ゲームタクト 2014」で最後に演奏した曲でもあります。

――ゲーム「三國志」シリーズの音楽は,以前,菅野よう子さんが作曲を担当されましたが,最新作「三國志14」では坂本さんがご担当されていますね。

坂本氏:
 なんだかすみません! という気持ちがありますね(笑)。菅野よう子さん,服部隆之さん,向谷 実さんと,錚々たる方々が名を連ねているシリーズですからね。でも,その末席に座ることができたのは嬉しい限りです。

この質問は「選べないですよね……」と決めきれずに1週間ほど悩んでいたとも




■待望の会社設立! 忙しい社長業の日々

――ここからはノイジークロークを立ち上げてから現在までのお話をお伺いします。法人化してからの仕事は順調でしたか?

坂本氏:
 まったく順調じゃなかったです。まず取引先の開拓に難航しました。大手のパブリッシャさんと直接仕事をしたかったのですが,そのためにまっさらの状態からの関係構築をする必要がありました。  とっかかりとしては,それまで間接的にお世話になっていたゲームメーカーに,意を決してあいさつに行ったことです。担当の方からは「たいへんな道に進んだね。会社にした以上は自分の好きなことだけをするわけにはいかなくなるけど,それでも頑張るの?」と覚悟を問われたのを覚えています。そのあとそのメーカーからお仕事をいただけて,ご担当の方とは今でも連絡を取り合っています。本当に感謝しかないですね。

――会社を立ち上げた当初,一番大きかった仕事を覚えていますか。

坂本氏:
 「忍道 戒」ですね。それまでにない大きなお仕事でした。複数社によるコンペということで,当時うちの会社のメンバーに加わったばかりの,いとうけいすけと頑張って見事勝ち取りました。

――いとうけいすけさん,加藤浩義さんとは創業当時からのお付き合いになるかと思うのですが,お二人との出会いは?

坂本氏:
 僕がまだフリーランスだったころに,自分のホームページで協力者を募ったのがきっかけです。フリーランスという立場ではどんな発注,どんなジャンルでもできなくては仕事にならないんですが,やはりどうしても得意不得意はあって。自分が苦手なテクノとかも頑張って作りますが,やはり“ナンチャッテ”になりかねないんですね。だったらもう少し幅広く仕事を受けられるように,各ジャンルが得意な人と組もうと募集をかけたんです。そこからは,お互いフリーランスだったので,仕事をシェアするようになりました。
 応募してきた順でいうと,加藤浩義,いとうけいすけ,浅田 靖,蛭子一郎なんですけど,その4人は今でも会社の中核メンバーとして頑張ってくれています。そこからは,「どんなジャンルの楽曲でも,一流のクオリティのものを制作する」と決意して,値引きをしないことにしました。それはつまり,提示した金額に見合った仕事を必ずするということです。案件によって価格設定が揺らいでいるようでは信用は勝ち取れないし,自転車操業に陥って,会社が成長していけないからです。

――社長として,会社の成長やブランド戦略も考えるようになったわけですね。

坂本氏:
 はい。そこで重要になるのは,やっぱり営業なんですよね。とにかく人とたくさん会って顔を覚えてもらう。一時期は1か月に40回の飲み会に参加していて,多いときには1日3件を掛け持ちすることもありました(笑)。当時はあまりお酒が飲めなかったのですが,まだまだ“飲みニケーション”文化があった時代なので,おかげで鍛えられました。
 ブランド戦略という点では,単に音楽を提供して終わりではなく,制作過程を公開したりと音楽以外で目立つ施策を入れるようにしました。例えば「勇者のくせになまいきだ。」だったら,社員に楽器の練習期間として一週間だけ時間を与えて,生演奏の収録を敢行するとか。

――そのころからメディアで取り上げられることも増え,注目が集まるようになったと記憶しています。

坂本氏:
 まずは皆さんに名前を覚えてもらうのが大事だろうと。取引先の会社にとっては,「ノイジークロークに頼めば音楽の制作過程がゲームのプロモーションにも使える」ことが,仕事を頼みたいという気持ちにつながるかなと。いくら現場の人が気に入ってくれても,上司の方が金額を理由に首を縦に振ってくれない場合もある。両者に同時に納得してもらうためには,楽曲の品質と同じくらい,金銭的なプラスアルファを提供することも大事だと考えたんです。
 CDを発売するための音楽レーベル立ち上げや,「おとや」などのインターネット放送,「ゲームタクト」などのイベント主催を行ったのも,そういう戦略からです。クライアントとして何もせずとも,音楽そのものが勝手に作品のプロモーションをして,時には収益を上げてくるようになる。作曲家としても,自分が作った曲をゲームの外で聴いてもらう機会になる。そういった機会は待っていてもやってこないですからね。
 その結果,「あそこに頼めば何か面白いことが起きるぞ」という雰囲気が業界内に漂い始めたんだと思います。そのあたりからですね,会社が軌道に乗り始めたと一息つけたのは。

――それまでは枕を高くして眠れない日々が……?

坂本氏:
 そうですね。僕らは元はと言えばフリーランスの集まりでしたから,大手メーカーで有名な曲を手掛けて名を知られてから独立された方達とは,ものすごいハンデがある状態でのスタートでした。そこで彼らと肩を並べるくらいのタイトルに関わるには,知恵を絞る必要があることを痛感しました。また,“倍の時間,倍の速度,倍の密度で働けば,人より8倍働ける”をいまでもモットーに仕事をしています。それくらいしないと絶対に彼らに追いつけないですから。そうやって少しずつ認めていただけるようになりましたがまだまだです。


■新たな試み「プライベート・スタジオ・オーケストラ」

――ノイジークロークとしては今年,新事業として「プライベート・スタジオ・オーケストラ」を発表されました。こちらを立ち上げたきっかけを教えてください。

坂本氏:
 発端はやはりコロナ禍です。新型コロナウイルスの感染拡大で各種の公演やレコーディングなど,演奏家の方々の仕事が一気になくなり,SNSを通じて皆さんの悲鳴が聞こえてきたんですね。
 音楽制作の仕事はリモートでも進められるんですが,演奏するとなると,どうやっても三密が発生してしまう。何か彼らを助けられる方法はないかといろいろ知恵を絞りました。寄付やクラウドファンディングなども候補にはありましたが,それってお金がある人なら誰でもできることじゃないですか。
 でも,この先もずっとこの状況が続けば,世の中には打ち込みのオーケストラしか存在しなくなってしまうかもしれないと危機感を覚えたんです。そこで,自分達にしかできないことで彼らを継続的に助ける手段はないかと模索している中で,ある日「オーケストラで宅録(自宅レコーディング)が実現できたらすごいんじゃない?」というアイデアが生まれました。

――これまでは不可能だったんでしょうか?

坂本氏:
 ソロならありましたが,数十人編成のオーケストラとなると前例がないことです。「自宅で録れるなら,単にその音を集めればいいのでは」と思われるかもしれませんが,大前提として録音するための環境が人それぞれで異なることが問題になります。
 防音室を持ってる奏者さんもいれば,後ろでエアコンの音がしてることもある。そういう音が集まったときに,いかにデジタル補正技術が発達したとはいえ,40以上もの楽器の音をあとから整えるのはものすごく手間がかかりますし,あまり現実的ではありません。
 奏者さん側にしても,ほかの楽器とのタイミングやピッチをどう合わせるか,といったさまざまな問題が発生します。

――確かに。

坂本氏:
 それらを解決するための手段として出た答えが,「録音環境を同じにするために,こちらから機材を提供する」というものでした。厳密には部屋のサイズなどで音鳴りが違ったりもするのですが,環境に合ったマイキングや吸音の調整などをすれば,ちゃんと音が録れることが分かったんです。
 音の粒,つまりタイミングをそろえることは,録音する楽器の順番を工夫することで,かなりのところまで持っていけることも分かりました。具体的にはまず打楽器を録音して,次に各楽器のパートリーダーだけを収録,最後に残りの楽器を重ねていく。こうしたノウハウで,これまでのスタジオ収録とほとんど遜色のない音質にまで持っていけることが分かりました。



「プライベート・スタジオ・オーケストラ」で実際に収録を行った動画。曲が完成するまでの流れがよくわかる





――商品としてプロの耳に耐えられるまでのオーケストラ収録が,リモートで録音できることが証明できたと。

坂本氏:
 そうなります。動画投稿サイトにもオンラインセッションはありますが,あれはあくまで音楽を楽しむ,楽しんでもらうことが目的ですよね。だから皆さんも積極的にやってほしいと思いますが,僕らの場合は,宅録でのレコーディングを仕事にすることなので,より高い精度のものが求められるんです。

――最終的に商品となり得るものを制作するための,環境構築をするということですよね。

坂本氏:
 ええ。なので,譜面を間違いなく書き込むなど,段取りのスタイルも変わってきます。これまでの収録とは違って現場では修正できませんからね。

―― 一番のメリットは何でしょう?

坂本氏:
 全員が外出しなくていいので,収録時間を選ばなくていいというのは大きいですね。一流のミュージシャンほど多忙を極めるので,全員を一度に集めるスケジュールを立てるのは本当にたいへんです。ですが,宅録ならば時間に縛られず一流のミュージシャンが集められます。スタジオレンタルの代金も不要になるので,予算も抑えられます。
 また,海外の民族音楽の奏者を日本で探すのはたいへんですが,この方法なら直接連絡をとり,発注することができる。逆に海外のメーカーさんからの仕事も受けやすくなりますね。

――奏者さんにとってのメリットもきちんとあるんですね。

坂本氏:
 はい。ハープやコントラバスといった巨大な楽器を持ち運ぶ手間もなくなります。やはりポスト・コロナの時代では,スタジオ収録とリモート宅録は両立していくことになるのは間違いないと思います。だったら,リモート宅録のノウハウをいち早く構築することが重要だという狙いもあっての,プライベート・スタジオ・オーケストラなんです。

――聴く側にとってのメリットはありますか?

坂本氏:
 楽器それぞれの音を個別に収録できるので,面白い使い方もできそうなんです。通常のオーケストラ録音ですと,複数本のマイクは使いますが複数の楽器の音が重なって収録されます。それがプライベート・スタジオ・オーケストラの場合,すべての個々の楽器の音が最初から独立したトラックになっていますから,ゲームのシーンに合わせて特定の楽器の音だけを鳴らしたり,エフェクトを加えたり……ということが自在にできます。
 VRと組み合わせれば,オーケストラ楽団の中を動き回りながら楽曲を楽しむといったこともできるようになるはずですから,インタラクティブな音楽に対しての相性は非常にいいと思います。かなりの可能性があると確信しています。

――プライベート・スタジオ・オーケストラでの今後の目標は?

坂本氏:
 現段階ではまだノウハウを構築している部分もあるので,より知見を深めていち早く実戦投入することですね。現状は,ミュージシャンの皆さんにリモート宅録のノウハウを無償提供させていただいているので,ご興味のある方はぜひお問い合わせください。

「プライベート・スタジオ・オーケストラ」紹介サイト


■作曲家 坂本英城として

――少し話は変わりますが,坂本さんはどのような環境で作曲されているんでしょう?

坂本氏:
 それが昔からまったく変わっていなくて,電子ピアノとCubase,Waves Mercury,あとはVIENNA,Ivory II,Native InstrumentsやSpectrasonicsなどのスタンダードな音源をインストールしたPCだけ。雑誌などでほかの方の制作環境を見ると,たくさんのオーディオ機材に囲まれていて「かっこいいなぁ」と思うんですけど僕には必要ないんです。例えばEDM系なんかになるとインタフェース的なデバイスがいろいろとあったほうが効率がいいんですよね。
 ただ僕の場合はありがたいことに,作曲仕事の9割がオーケストラでのレコーディング案件なんです。なので,素直にMIDIデータが記録ができる装置があれば,それで問題ないんです。自分では手に負えないな,というジャンルの仕事をいただいたときには社内のセンス溢れる若いスタッフにマニピュレートを任せてしまうほうが良いものが出来上がる。うちのスタッフはびっくりするくらいみんな優秀で,それぞれの得意分野を活かすディレクションをするのが僕の仕事でもあります。

音源はオーケストラ音源の定番「VIENNA」,ピアノ音源の「Ivory II」を使用。シンプルなのは最終的にオーケストラ収録を行うため



――これまで自分の楽曲がゲーム以外で演奏されたことで,印象的な出来事はありますか?

坂本氏:
 どれも想い出深いのですが,直近だと「文豪とアルケミスト」のオーケストラコンサートですね。日本クラシック音楽の総本山とも言えるサントリーホールで自分の曲が演奏されたことは,一生の思い出です。楽屋に入っただけでも感動を覚えましたから。



「文豪とアルケミスト オーケストラ演奏會」試聴ムービー





 その前ですと,2011年にロシアのサンクトペテルブルクで自分の曲を演奏を指揮したことですね。オーケストラの曲を作りたい以上に,オーケストラの指揮をしたいという夢があったんです。それが同時にかなってしまったので,収録後は「これからの夢をどうしよう」としばらくボーッとする日々が続きました(笑)。

転機の一つだと語るロシアでのオーケストラコンサート



――「The Final Time Traveler」がサラ・オレインさん歌唱のもと,羽生結弦選手がフィギュアスケートを披露するという出来事もありました。

坂本氏:
 あれは僕自身は何もしていなくて,ホントに運がよかったとしか言いようがないです(笑)。サラ・オレインさんの曲をいろいろなスケーターが滑るという企画だったのですが,数ある曲の中から羽生選手が「この曲がいい」と選んでくださったのは光栄です。食事をご一緒したのもいい思い出ですね。老若男女問わず,普段はゲームと縁遠い方々の耳にも届くような機会をもらえたことを含めて,サラちゃんには感謝しかないです。



東京ゲームタクトで「The Final Time Traveler」を歌唱するサラ・オレインさん





――作曲作業をする上で心がけていることはありますか?

坂本氏:
 メインテーマは最後に作曲する,ということです。やっぱりテーマ曲ってゲーム中のすべての楽曲を象徴する音楽でなければならないと思うんです。
 そのゲームに対する知識って,ゲームディレクターや開発者さんとのやり取りの中で蓄積されていくものなんですね。例えば「このシーンではこのキャラクターが出てきてこういうセリフを言います」というような話を聞きながら,作品に対する理解度が深まっていく。そうしてなるべく多くの曲がそろったうえでメインテーマを作ったほうが,芯に当たる。
 最近はプロモーション用に先行してメインテーマを制作することも増えましたが,全曲がそろった段階で手直しをしたりもします。

近年では大作ソフトを手掛けることが多い坂本氏。画像は最新作の「三國志14」


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――ちなみに,作曲作業のお供ってなんでしょう? 例えば気分転換のためのアイテムなどはありますか?

坂本氏:
 「将棋連盟ライブ中継アプリ」です。日本将棋連盟が提供しているアプリで,その日の対局の棋譜をすぐに見ることができるんです。プロ同士の棋譜を一手ごとに解説付きで見られるスグレモノなので,例えばDAWでのバウンス作業(楽曲データの書き出し)などで仕事の手を止めざるを得ないときなんかには,すぐにチェックをして「藤井聡太二冠はさすがすごい手を思いつくなぁ」といった具合に気分転換をしています。もう手放せないアプリですね。あとはUber Eatsで注文する美味しいタピオカですかね(笑)。

作曲作業の箸休めだと語る「将棋連盟ライブ中継アプリ」。将棋が好きで四段の腕前を持つ坂本さんらしい



――現状ですと作曲作業はご自宅で?

坂本氏:
 自宅の一室で行っています。閉めきった防音室ではないので,子供が遊んでほしさに乱入してくるのが悩みです。「なんか入れてないはずキックの音が聞こえるな」と思ったら息子がドアを蹴っている音だったりとか(笑)。

――お父さんが作曲をしている背中を見て育つと,ゆくゆくは音楽関係に進むこともあるかもしれません。

坂本氏:
 家中に鍵盤があるので,もう少し大きくなったら興味を持つかもしれませんね。子供には好きなことをやってほしいですけど,夢中になれるものに出会ってほしいですね。そのうえで音楽を選ぶのならそれもいいかと。

家では3歳の長男,1歳の長女という2人のパパ。



――では,作曲家としての今後の目標は?

坂本氏:
 オーケストラ楽曲を多数手がけてきましたが,作曲に関してはとにかく現場主義であり完全に独学なので,音楽をもっと勉強して,音楽というものの本質と向き合う時間がほしいです。確かに社長業はハードですが,それがあるからこそ音楽を作らせてもらえる部分も間違いなくあって。でも作曲のみを生業とされてきた方々と比べたらまだまだです。
 なので,会社はある程度部下に任せられるようにして,ちゃんと「音楽家です」と胸を張って言える50代にしていきたいですね。50歳から味が出てくるという作曲家もたくさんいますし。

――会社経営からはなるべく距離を置きたいというお気持ちがあるんですか?

坂本氏:
 早く若手に託したいんですよ。「いつの時代も若い人が言っていることが正しい」という言葉が僕は好きだし,正しいと思っています。ただ年齢を重ねたからこそ分かることもあるので,会社を前に進めるために必要な知識を提供することは惜しみませんし。

――坂本さんにとってゲーム音楽,作曲の魅力とはなんでしょう?

坂本氏:
 たくさんありますけど,まず思いつくのは何度も自分の楽曲を聴いてもらえることです。映画のようにリニアなメディアでは曲はそのシーン限りですけど,ゲームならループで同一シーンならずっと同じ曲をループで聞いてもらえる。尺を気にしなくていい分,比較的自由な音楽やチャレンジが許されます。
 あとは作品の看板を一人で背負えること。プログラマーさんやデザイナーさんは大勢で作っていますが,作曲家はドンと一人の名前が出るじゃないですか。そこにはやりがいを感じます。
 そして,一瞬にして世界に行き渡ること。発売日を迎えたその日から,地球の裏側にいる人にまで僕の楽曲が聴いてもらえる,こういう歓びはなかなかないと思います。大好きです,ゲーム音楽が。


■次回のゲストは岩垂徳行さんです

――最後に,次回のゲストのご紹介と,メッセージをお願いします。

坂本氏:
 「笑っていいとも!」みたいですね(笑)。次回は岩垂徳行さんに語っていただきましょう。岩垂さんに初めてお会いしたのは大人数での何かの飲み会で,僕から名刺を渡したんですが,人気者の岩垂さんはそのとき名刺を切らしていらして。そしたら数分後に岩垂さんがまた声をかけてくださって,「坂本さん,今,名刺がないんでこれでいい?」って,箸袋の裏にものすごい細かい字で連絡先を書いたのを手渡してくれたんです。

――岩垂さんの人柄が見える,いいエピソードです。

坂本氏:
 ですよね! そこからもう一気に仲良くなって。僕は,後輩の音楽を積極的に聴いてくださる作曲家の方を非常に尊敬しているんですが,岩垂さんはとくに真剣に聴いて批評してくださるんですね。作られる楽曲は素晴らしいし。それに,自身で作られた楽曲のオーケストラ編曲までをキッチリご自分で行われるんです。僕にとって,自分が作った音符をどの楽器で誰に演奏してもらうかは非常に重要なことなんですが,そういった意味でも岩垂さんのスタイルは尊敬していますし,見習いたいと常々思っています。










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